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様々な魅力のある『わたモテ』ですが、その中でも特筆すべきはあえて描かないというテクニックの上手さではないでしょうか。
過剰になりがち
近年は特に説明過剰な作品が多すぎるという言葉をよく見かけます。僕自身、映画を観ていると、「そんなこと言葉で説明されなくてもわかってるから」「いちいち言葉で説明しないで演出や演技でわからせてくれよ…」と思うことが多々あります。
漫画や小説にも同じことが言えるでしょう。登場人物の心情や考え、作品内のテーマはこちらが考えて汲み取りたいもの。それなのに、すべて説明台詞や内面モノローグ、作者の注釈などで説明する安易な作品が目につきます。
なぜこういうことが起きるのか。池袋ウエストゲートパークで有名な石田衣良先生は「説明をしている部分では作り手が安心できるから」と言っています。弱気な姿勢を誤魔化すために、作り手は過剰な説明をしてしまうわけです。自分の作品に自信がない人ほど、説明だらけの作品になるのでしょう。
もちろん、あまりにも説明がなさすぎるのも困りものですが。ただ作り手が何も考えずに「あとは適当に考察しといてね」という作品も上等なものとは思えません。
わたモテはこのバランスが神がかり的に上手いと思います。再ブームの理由はキャラクターの魅力だったり百合界隈での盛り上がりだったりというのも当然ありますが、そもそもこの「読者に考えさせることで作中世界に引き込む」という語り過ぎないテクニックの上手さのおかげではないでしょうか。
上記の画像はゆりちゃんがもこっちから初めて下の名前で呼ばれるシーンです。
凡百の作り手なら、ゆりちゃんの心情を表す描写を別のコマに入れてきそうですが、すぐエピソードは終了します。しかも、ゆりちゃんと再会するのは6話後という……。
うひょおおお、って感じですよ。
キャラクタ―の関係性
おそらくわたモテ読者であれば一度は首を傾げていると思います。「え、このキャラクターとこのキャラクターの間には何があったんだ?」と。
わたモテでは、いつの間にかキャラクター同士の関係性が変化していることがあるのです。過去のエピソードを思い返してみても、なぜそうなったのかわからないことがあります。
しかし、真剣にエピソードを読み返していくと、さりなげく布石・伏線・次のエピソードに繋がる効果的な暗示があることに気づかされます。背景に紛れ込ませていることも多いです。明かされてみれば、「なるほどなぁ」と思えます。これはミステリ的な面白さに通じると個人的には思いますね。(ミステリ作者にフォロアーが多い理由の一因では?なんて穿ってみたり)
また、キャラクター同士の明かされていない因縁が物語の推進力にもなっています。
この2人の因縁はそろそろ明かされそうな気配がありますね…。
いったい何があったのか非常に気になるところです。
まとめ
わたモテは読者に考えさせることで物語に厚みをあたえているのです。考察しがいがあります。それだけでなく、この手法はキャラクター同士のカップリング妄想をしやすくもしていますよね。だから二次創作が盛んになるのだと思います。
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